みんなの登校日企画 その3
筑波の古写真展
2019年 5月18日19日 10:00~16:30
場所:旧・筑波東中学校 武道館
明治~昭和初期に筑波地区で撮影された写真と
同じ場所で撮影された現在の写真を並べて展示します。
100年ほど昔と現在とで、
なにが変わり、なにが変わっていないのか?を
A3サイズで展示された写真から読み取っていただきます。
郷土史家の井坂敦実先生に
古写真のデータを提供していただき、
古写真の解説をつけていただきます。
今回はその展示の中身をちょこっとだけご紹介!
まずはこちら
小田の茶屋カッパ屋周辺の風景
大正末、昭和初期(1920~1930年)ころ
土浦街道を小田の宿を抜けて、14の写真の手前にこのカッパ屋があった。カッパ屋とは合羽のことか。中央の本通りから枝わかれする小道は小和田集落に至る山道。笠をかぶり背負籠の人物は当時普通にみる百姓の夏の作業姿だった。
そして現在がこちら↓
……ぜんぜん違う
でも、道路の左へ曲がるカーブと、
男性の左後ろにある右へと上がっていく小道は全く同じです。
もう一つご紹介
北条尋常高等小学校*の運動会風景
大正末頃(1920年代)の撮影。
北条小学校は明治7年(1874年)に創立された。最初、無量院本堂を使ったが、後に宝安寺に移った。横町に校地を求めて新校舎を作ったのは明治19年(1886年)と伝えられる。大正時代の運動会を記録した写真は珍しい。この絵葉書を発行したのは「角藤商店」で、下妻にあった。
大正時代に全校生徒が同じ帽子と同じ体操服を着用していたというのは、都会ならまだしも、農村地帯としては驚かされる。当時の農家の生活水準はかなり厳しいものがあったからである。それとも北条町は稲作地帯として、近隣に類のない豊かなところであったからか。
注釈:尋常高等小学校は尋常小学校と高等小学校が1つになっているもので、現在の小中一貫校をイメージするとわかりやすい。この当時(大正時代)は尋常小学校が6歳~11歳(7歳~12歳)と現在の小学校と同じ、高等小学校は12歳~13歳(13歳~14歳)の二年間だった。尋常小学校は義務教育だったが、高等小学校は義務教育期間ではなかった。
100年前の運動会ですよ!
現在がこちら↓
その後、北条小学校がカメラの反対側にある高台へ移転しました。
この土地には北条中学校、その後、筑波幼稚園ができ、
それも移転し、現在は空き地になっていますが、
これからこの場所に北条保育所が建設されます。
歴史からは離れてしまいますが、現在の写真に写っている山は
城山と呼ばれている山ですが、昔はほとんど木がありませんでした。
100年ほど前の写真には山の右側が段々畑になっていたのが見て取れます。
そして、広葉落葉樹は北条の街の人の薪や燃料として使われていました。
ですので、松しか生えていません。
「昔は緑が多かった」というイメージがありますが、
化石燃料が普及するまで日本の山ははげ山だったようです。
と、そういう解説を付けくわえながら写真をみていくことで
現在の生活は、かつては(少なくても100年前までは)
当たり前ではなかったということがわかるように作りたいと思います。
サステナビリティ(持続可能)とさまざまなところで聞くようになりましたが、
本当の持続可能な社会てなんだろうか?と考えてもらうきっかけの一つになればと思います。
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